外国語を話すということ。
外国語を話すのは思ったよりも簡単じゃない。
巷には「1週間で英語がスラスラ話せるようになる方法」とか「2週間で英語を完璧マスター」とかいう本がたくさんでてるけど、言語を習得するのはそんなに簡単なことではないはずだ。楽して英語やその他の外国語を話せるようになりたい人を喰い物にしてるようにしか思えない。
外国語をマスターするには僕は泥臭い努力が必要だと思う。言葉を勉強するのを全く努力だと思わない人もいるかもしれない。でもその人は生まれ持っての才能に恵まれているだけだ。僕を含めて多くの人は、努力して時間をかけて外国語をマスターするしかない。
文法という土台を時間をかけて構築して、その上に単語や熟語、イディオムなどを載せていく。それに発音を磨いて、フレーズがすらすらでてくるように何度も何度も繰り返す。
こうしたプロセスと膨大な時間をかけて言語はマスターするものだと思う。
よく数字が数えられるからその国の言葉を話せるとか、あいさつができたらその国の言葉を話せるっていう人がいるが、そんなのは嘘だ。あいさつや数字なんて、1日もあれば十分に覚えられる。外国語を話すということは、自分の発した言葉をしっかり確実に相手に理解してもらえて、相手の言ってることをちゃんと理解できて、はじめて外国語を話せると言えるだろう。程度の差こそあれだ。
言葉の海から気にいった言葉をチョイスする。
批判はこのくらいにして、外国語を話すことは楽しい。
僕は言葉を話すことは楽器を演奏することに似ていると思う。気に入った音をチョイスして、音を重ねて、聞いてる人をいかに心地よくするか、自分で発した音で相手の心を動かすか。
どの国の言葉にも膨大なフレーズ、単語がある。その中から自分が好きなもの、心地よく感じるものを頭の中にたくさんストックしておいて、自分の気にいった音を奏でればいい。
外国語を覚えるのはこの単語(音)を発したら、相手がどんな反応をするのか覚えることだと思う。覚える音(単語)は無数にあるから、気の済むまで頭にストックしておける。
言葉を話すことは芸術と同じだ。
まとめ。
1週間やそこらで外国語がペラペラになるはずがない。そんな嘘つきの本は是非視界に入れないでほしい。という批判はもういいや。とにかく言語を話すことは楽しいこと。無限の言葉の海から自分にあった言葉を身につけて、自分だけの音を奏でよう。