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【絶望と歓喜】プロの写真家・Satoki Nagataさんから『写真』を教えてもらった話

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(Nagataさんのフェイスブックより:https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2868105993260688&set=a.278676575536989&type=3&theater

 

学生の頃、バックパッカーで旅をしている途中、プロのストリートフォトグラファー、「Satoki Nagata」さんに写真を教えてもらっていたことがある。 

 

彼は学者として、渡米したのち、写真の世界に魅せられた。

 

活動拠点はアメリカ・シカゴ。フランスやイタリアで写真展をしたり、イギリスやカナダの雑誌で作品を紹介されたりしている。

 

今から6年も前の2013年10月、旅の途中の安宿。スカイプでタイとアメリカと繋ぎ、彼の講義を受けた。 

 

 

熱く、静かに 

初回の講義は2時間って聞いていたから、それほど気負わずに講義が始まった。

でも講義は2時間ではまったく終わる気配を見せず、気づいたら4時間も経っていた。

 

Wi-Fiはあるものの、エアコンもない、ボロボロの扇風機だけの安宿で汗だくになったことを覚えている。

 

 

「いい写真とは何か」

「なぜ写真を撮るのか」

 

 

写真について全くわからなかった僕にわかりやすい言葉で、でも静かに、そして熱く語ってくれた。

 

講義の前に15枚の写真の提出を求められた。

僕が提出した写真はだいたいこんな感じだった。

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「Always in your pocket, ECO」とタイトルのつけた1番上の写真は結構褒めてもらえたのは覚えてる。

でもその他の写真は「基本的な構図は考えて撮ってると思うけど…」みたいな評価だったと思う。

 

そのあと講義を何回か受け、撮った写真はこんな感じになった。

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彼の言うこと全てを実践できているとはとても思わないけど、講義を受けたあとで意識するようになったのは、

 

  1. 被写体に対してアグレッシブであること
  2. 何のためにその写真を撮ったのかを考えること
  3. 画面の中全てのものに意味があること

 

だった。

 

単純に綺麗な写真を撮る、何も考えずにシャッターを押す、というこれまでの習慣を辞め、足を使って積極的に写真を撮りにいけるようになった感じがした。

 

いい写真とは何か

いい写真とは…

 

「見た人がその写真の前で立ち止まって、考えてくれるかどうか。」

 

それが6年前、タイの安宿で聞いた答えだった。

 

名もなき人を撮ることへの恐れ

その後何度か講義を受けた。次の講義までにこなすべき課題はこうだった。

 

70cm〜100cmの近さで人の写真を撮ること。

 

人見知りの僕にこの課題はとても辛かった。

 

でも知らない誰かを撮ることは、写真、特にストリートスナップを撮る上では避けては通れない道だと。

 

この課題の裏にある意図は、写真を撮ってもいいかお願いして、「断られること」だった。

 

作品を作るために躊躇せずにアプローチすること。写真家はみなこの難しさを乗り越えているそうだ。

 

「他人」へレンズを向けることへのためらい 

タイで一番はじめに撮った、「誰か」の写真はこれだった。

 

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「 写真とってもいい?」

 

そう聞いて撮らせてもらったにも関わらず、レンズを誰かに向けるのをとても躊躇してしまっている自分がいて、ピントもあってないし、被写体と僕との距離を感じさせるような障害物が写ってしまっている。おまけにこの子の目線の高さにもレンズを合わせることができず、辛うじてシャッターを押すことが精一杯だった。

 

知らない誰かを撮ることがこんなにも難しくて、苦しいことだとは考えもしなかった。

 

その後は、Google翻訳で調べたタイ語で「写真の勉強をしてるから、あなたの写真を撮らせてくれないか?」と書いたメモの切れ端をもって、何人かに声をかけてみた。持ち歩くカメラのグリップはいつも汗ばんでいた。

 

断られた。

 

撮らせてくれる人もいた。

 

それでも被写体と僕との距離は縮まらず、撮らせてもらえても、子供が泣いてしまったり、ぎこちない笑顔になってしまったりした。

 

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そのとき僕は気ままなバックパッカー旅の最中だったので、人の写真を撮ることに挫折しつつも、次の国インドへ向かった。

 

「天国」=  インド

このインドという国は人の写真を撮ることに関していえば、「天国」だった。

 

こちらから写真を撮っていい?と聞くまでもなく、あちらから、「へい!そこのジャパニーズ!おれの写真を撮ってくれよ!」と言ってくる。

 

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今までのフラストレーションをここぞとばかりに発散するべく、たくさんの人の写真を撮った。難しさを味わっている分、人の写真を撮ることがこんなにも楽しくて、嬉しくて、価値のあるものなのか、と毎日噛みしめるようにシャッターを切った。

 

その場所に行って、カメラの設定をして、シャッターを切る。そんな風景写真とは違い、被写体と撮影者との距離感がこうも如実に、写真という一枚の絵の中に現れるものか、と。

 

 撮れない「誰か」

「僕が被写体との距離を縮めることの技術が向上したから、こんなにもたくさんの人の写真が撮れているのだ」、と錯覚し始めたころ、北のダージリンという町に行った。ダージリンティーで有名な紅茶の町だ。

 

ここは今までのインドと全く違っていた。住民の多くは日本人の顔立ちによく似たモンゴロイドで、人と人との距離感もバラナシやコルカタバンガロールに比べると、ずっとよそよそしい。

 

いつものようにカメラを持ち、宿を出た。人は今までよりもずっと遠い。写真を撮ろうにも、声がかけられない。町の風景は何枚も撮れるのに、人にレンズを向けることができない。

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せいぜい撮れても、遠くから風景に混じって、人の写真を撮るだけだった。70cm〜100cmには遠く及ばない。

 

タイで汗ばんだグリップを握りしめながら、「写真を撮らせてくれませんか?」のメモを見せていたときと、僕は何ら変わっていなかったのだ。 

 

そんな絶望と歓喜と、また絶望を味わいつつ、もう少し旅を続けた。

 

日本へ

しかし東に取り残してきた日本という国と、やり忘れた「就活」という存在が僕の中で日増しに大きくなっていった。

 

旅は次のデリーという町を最後にしよう、そう決めた。

 

日本に帰国した僕は、現実的に目の前にせまった就活に取り組むなかで、旅のことも、写真のこともあえて考えないようにしていた。

 

そして、いつしか学生生活に終止符を打ち、社会という共同体の一員になっていった。

 

 写真を見る目

絶望と歓喜を味わった「写真旅行」だったが、そんな経験をしたあと、やはり写真を見る目は変わったように思う。プロの写真を見て、なぜこの写真を撮ったのか、伝えたいメッセージは何かを無意識的に考えるようになった。そして、ストリートスナップで「名もなき人」を撮る写真家を本当にすごいと思うようになった。

 

でももう一度、声をかけて他人の写真を撮ることを課題に出されたら、僕は冷や汗をかかずにはいられない。

 

さいごに

そんな感じで今日は僕が Satoki Nagata さんというプロの写真家に「写真」を教えてもらった話しと、人を撮ることの難しさを書いてみました。

 

もし彼の写真講義を受けてみたいと思う方がいれば、彼のHPからコンタクトしてみてください。

写真を学ぶ - Satoki Nagata PhotographySatoki Nagata Photography

 

きっと絶望と歓喜が味わえると思います。

 

おわり。

ひつじ。

 

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