今、僕は飛行機の中。
今日はパソコンでもなく、スマホでもなく、手帳とペンを使って記事を書いてみる。
フライトの日
飛行機に乗る朝は特別な朝だ。
周囲のサラリーマンと何ら代わり映えのしない自分。通い慣れた道をスーツケースを転がしながら、会社へ向かう。これから行く街へのイメージが僕の思考の大半を占め、日常からの脱出にある種の快感すら覚える。
僕はこの文章をタイへ向かう飛行機の中で綴る。日本時間20:20。台湾上空。空は暗く、星一つ見えない。
忘れた高揚感
思えば僕が一人で初めて海外に行ったのもタイだった。当時僕は21歳。今よりずっとずっと「海外」という存在を新鮮に感じることができていた。
よくも悪くも、海外に行き慣れたりすると、少しの文化的ギャップに心が反応することが少なくなっていく。
空港に着くと、どうしようもなく高揚していたあの気持ちすら、今はもう思い出すことができない。
あるいは近頃、飛行機に乗るのは仕事絡みのことだからかもしれない。海外は好きだし、空港も好きだけど、仕事だという義務感から、海外を楽しむわけにはいかないという自制心のような、恐れのような感情が渦巻く。
初めての海外一人旅
それはそうと、2013年の今と同じような季節、僕は同じように飛行機に乗っていた。当時も行き先はタイだ。
片道1万5千円のチケットを購入し、マレーシア経由でドンムアン空港に降り立った。
そこから数カ国、バックパックを背負い、未だ見たことのない景色に毎日がヒッピーで、ハッピーだった。
嗅いだことのない匂い、聞いたことのない言葉、会ったことのない人々。刺激的で自由な旅。
でも旅の途中、何度か「自分はこんな異国で何をしているのだろう…。」と思ったことがある。
それは決まって観光地などでは感じることができない、その土地に住む人々の日常を目の前に突きつけられたときだ。
朝、宿の窓を開けると、子供を見送る母親。料理を作るおばあさん。水を運ぶ男たち。片やバックパックに全てを詰め込み、根無し草で放浪する僕は彼らがとても立派な人たちに見えた。どんな理由があろうと、生まれた土地に根を張り、知恵を絞り、生活を築く人々。そんな光景は旅先のどこにだって存在した。
これからの生き方
時は経て僕は暖かな学生時代にさよならをし、社会という砂漠に放り出された。旅の途中で見た彼らと同じ世界で生きていかなければならない。あの人たちのように今度は僕が、根を下ろし運命と共に生きていく番だ。
タイへ入国するまであと2時間。僕は映画を見るでもなく、音楽を聴くでもなく、かつての旅をこうして回想する。
ひつじ。
★担当ライター:ひつじ。
★プロフィール:記事を書くのが大好き。ブログのない人生は考えられないほど、ブログが好き。最近では世界各国に住むライターと協力し、海外記事作成に取り組み中。
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