ao-アオ-

【僕のこと】 ブログが大好きでWebマーケティング会社に転職した1991年生まれ。本業では、中小企業のWebマーケティング支援を行っています。今の会社に就職する前は、アジア放浪 、タイ駐在、商社で営業&購買と長く海外に関わってきました。海外の雰囲気が大好物です。 【このサイトのこと】 『ao-アオ-』は、青色と海外が大好きな僕と、同じく海外が大好きなライターと一緒に作るブログです。最高18.9万/PV。主に外国語の記事がよく見られています。

【第二次世界大戦】コヒマ・インパール、忘れられた日本兵。

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こんにちは。

 

ひつじ。です。

 

3年前にね、インドの「コヒマ」ってところに行ったんです。僕がバックパッカーしてるとき。でっかいでっかいインドでも一番東のはしっこのほう。

 

多分もしかしたら学校の歴史の時間とかでちょっと耳にしたことがあるかもしれないけど、「インパール」って土地が近くにあるんですよね。

 

第二次世界大戦中、日本軍は「インパール作戦」の一環として、このコヒマを占領し、次いでインパールも手中に収めようとしたらしいんだ。

 

今日はそんな地で出会ったかつての戦争の影について話してみようと思う。

 

 

インパール作戦により、日本軍大敗

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インパール作戦 - Wikipedia

 

インパール作戦でどうなったかというとね。日本軍はこの地で大敗。無策・無謀・無責任、史上最悪の作戦として後世に記憶され、3万人の日本兵がこの作戦で亡くなった。東京新宿の人口が約3万人らしいから、その数に匹敵する人間が一瞬で亡くなってしまった。

 

でね、僕はこの土地に来るまで日本軍がこんな僻地まできてるとは知らなかった。恥ずかしいはなし。でも調べたら上に書いたようなことがネットで見つかったから、ちょっとびっくりして。

 

この地に眠る日本兵へ祈りを捧げるため

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こんな辺鄙(へんぴ)な土地まできて、何十年も前に僕たちの祖先がこの地で亡くなったことを知って、居てもたってもいられなくなって、彼らに手を合わせたくなったんだ。

 

だからね、現地のガイドに、「第2次世界対戦で亡くなった兵士のお墓に案内してくれ。」って頼んだんだ。そこに日本兵のお墓があるんだって僕は疑いもしなかった。

 

車は峠道を抜けて、山道をひたすら走って、お墓についた。丘の上にたつ、大きなお墓だった。丘一面がお墓に覆い尽くされてて、これが戦争で亡くなった人たちのお墓なんだって、実体として戦争の犠牲者に対面した気がした。

 

 日本兵のお墓はそこにはなかった

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それで、早く日本兵のお墓の前でお祈りをしたいと、探し回るんだけど、いくら探しても墓石の上に日本人の名前が見つけられなかった。イギリス人らしき名前や、インド人の名前はたくさんあるんだけど、日本兵の名前は見つからない。

 

そうか。戦争ってこういうものなんだって、妙な実感が心の中に染み込んだ。

 

ここで起こった戦争は、インドとイギリスの連合軍と日本の戦争で、日本兵は自分たちの命を奪った敵兵なんだ。たとえ、彼らが死んだとしても、敵兵を葬る義務はないんだと。

 

どうしようもない 

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どうしようもない気持ちになって、どうしたら良いかわからなくて、自分がこの場所にひどく場違いな気がして、その場をあとにした。

 

なんか、自分の気持ちにやり場がなくなって、お墓から出たんだけど、僕はどうやってこの地で亡くなった自分の祖先に祈れば良いかわからなかった。

 

コヒマの町をふらふらと歩くと、山々が見渡せる崖に立った。今からほんの70年前、僕と同じ血が流れる人たちがこの山の中で亡くなったんだ。

 

家族を日本に残して、全く馴染みのない空の下で、命を終わらせなければならない無念は…。

 

日本兵の慰霊は少なくではあるが行われている

それで結局その時は、日本兵のお墓には行けなかったんだけど、日本に帰ってから調べると、どうやらインパールの町のとある教会に日本兵の慰霊碑があったり、インパールの小さな村に日本兵を讃える歌が、今でも歌い継がれていたりするらしい。

www.youtube.com

phraganet.exblog.jp

 

しかしながら、この地は長い間インド政府によって、入域制限が行われていたこともあって、日本国政府による慰霊が他地域に比べると、十分になされていないというのもまた、事実みたい。

 

 おわりに

「もう戦争なんてこりごりだ」なんてフレーズは言い尽くされてるだろうし、今更言う必要があるのか、ないのかわからないけど、日本からこんなにも離れた、縁もゆかりもないコヒマ、インパールという地で僕たちと血の繋がった日本人が大量に亡くなってしまったことは、歴史に刻まれた変えがたい事実。

 

たとえ十分な慰霊が行われていないとしても、そんな絶望がほんの70年前に起こったということはいつまでも忘れずにいたい。

 

ひつじ。

 

★担当ライター:ひつじ。

★プロフィール:記事を書くのが大好き。ブログのない人生は考えられないほど、ブログが好き。最近では世界各国に住むライターと協力し、海外記事作成に取り組み中。